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                      神奈川工科大学 小机 わかえ

 

私は、高校生の頃から、数学や物理学にあこがれていて、大学の入試志願表に、第一志望は物理学科、第二志望は数学科と書きました。志願した大学には無事入学できましたが、理学部の物理学科や数学科は人気学科で、教養学部では高い平均点を取らないと、進学できない仕組みになっていました。あこがれていた物理学や数学の他にも、英語やドイツ語、外国文学、人文科学系の科目、社会科学系の科目も必修で、必死になって勉強しました。その甲斐あって、2年の後期から理学部物理学科進学のクラスに入ることができました。しかし、あこがれていた物理学科の教育内容はレベルが高く、演習や実験、ゼミなどで徹底的にしごかれました。物理学科では余り良い成績はとれず、そのせいか大学院修士課程の入試に失敗し、1年留年するという始末でした。しかし、留年している間、受験勉強とはいえ、より深く物理学の世界に触れることができたと感じています。1年留年後、無事に理学系研究科物理学専攻修士課程に入学することができました。大学院で行った研究は、磁性体の中性子散乱という実験的研究で、未熟な私ではとても一人ではできず、指導教員の先生と、先輩の博士課程の学生と、共同で実験、研究を行いました。しかし、2年目に修士論文をまとめると、より広い世界を見たい、もっと役に立つ研究をしたいと思って、思い切って一般企業に就職しました。企業の研究所で、磁性体関係の開発を担当しましたが、ハードな職場で、体調を崩してしまいました。療養生活を経て、小さなソフトウエア会社に入社しました。そこで、原子炉のシミュレーションの仕事を担当しました。ハードウエアは一切使いません。コンピュータとソフトウエアの世界でした。原子炉は、試作品を作って実験するということができないので、性能の予測はもっぱら数値シミュレーションによっています。ここで6年を過ごし、シミュレーションとソフトウエアにはかなり詳しくなりました。その後、米国の大学に招待研究員として赴任し、核融合炉のシミュレーションを体験しました。米国から帰国して、自動車会社に入社しました。配属部署は、自動車の性能のシミュレーションを行っているところでした。自動車も原子炉等のように、試作品を減らして、シミュレーションで性能を予測しようという気運が高まっていたところでした。ハードウエアにも少しは触りましたが、研究はもっぱらスーパーコンピュータを用いた解析やシミュレーションでした。研究所に移って、少し学術的な仕事ができるようになり、論文をいくつか書いて、論文博士の学位を取得しました。その後、本学、すなわち神奈川工科大学に助教授として赴任しました。それから20年、教育、研究を好きなようにやらせていただき、毎日が充実しています。研究の対象はいろいろと変わりましたが、底に流れる共通項は好奇心です。なんでも勉強してやろう、何でも研究してみよう、何でも試してみよう。これが私のモットーです。